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CLUB OVERVIEW

クラブ概要

勝田ライオンズクラブの誕生

勝田ライオンズクラブの誕生

勝田ライオンズクラブの誕生

BIRTH OF KATSUTA LIONS CLUB

 私達のライオンズクラブは、日立ライオンズクラブのスポンサーによって結成されたのであるが、これには紆余曲折があり、誕生のきっかけは、日立ライオンズクラブの当時会員であった、日立市役所助役を勤めていた重松さんが、勝田の安市長、大和田助役に働きかけ、市長も助役もそれに賛同し、入会予定者集めに奔走し、私は市長に呼ばれ市関係域は、市議会に呼びかけるから、若い事業主域は趣旨に賛同する者に声を掛けるよう依頼されたのであった。

  一方、スポンサークラブの日立クラブから度々、勝田に来られ賛同者域は関心をもつ方集め説明会を開き、その都度30~40程参集した。その方々は、会社役員、商店主などであった。この説明会は4回開かれたと記憶している。 又、水戸にもライオンズクラブが東京の堀留ライオンズクラブがスポンサーとなり結成されることになり、この年の6月11日に結成されたのである。

 勝田としては、ここまで進めばと、日立ライオンズクラブが計画を立て、早く結成会を開催するようにと、会長に安義男氏、幹事に柳生迪氏(コロナ電気)、会計に鈴木修一氏(常陽銀行勝田支店長)を指名し、結成賛同者の諒解を得て三役が内定し、私はライオンテーマとして又、理事も内定、当時の商工会館に事務局を設置し、昭和39年8月1日勝田公民館で結成会を開催し、水戸ライオンズクラブからもお祝に来られ盛大に行われた。

 ここで結成したものの今度はチャーターナイトを開催しなければならず、それをいつにするか決めなければならず、他県のクラブのチャーターナイトに登録参加し出席することになり、先づ銚子ライオンズクラブ・市原ライオンズクラブのチャーターナイトに参列し参考にしたのである。ここで、スポンサーの日立クラブの松本和夫L・ゾーンチェアマンから、水戸ライオンズクラブのチャーターナイト開催の前に実施するよう強く要望指導され、11月30日に実施することになったのである。

 しかし、チャーターナイトとなれば、他クラブへPRに行かなければならず、関東の一部・東北6県・北海道までPR活動をしたのである。(当時はクラブ数が少なく他県までPRする)その結果、勝田クラブのチャーターナイトは、登録者250程と記憶しているが、会場は当時の東石川の日製体育館を借用し、 ガバナー迫水久常Lを迎え、チャーターメンバー43名で実施したのである。従って勝田クラブが茨城県で日立に継ぐ2番目のチャータークラブであり、誇りと思ったのである。

 ボーイスカウトの奉仕協を得たのであり、それを機会にその後、ボーイスカウト勝田第1団を勝田ライオンズクラブが援助して発足させたのであり今のひたちなか第2団は勝田第1団から分封したものでありこれもアクティビティである。

勝田ライオンズクラブの足跡